IoT社会に一石

関東学院大学
材料・表面工学研究所
副所長  渡邊 充広

 ここ数年、自身の検討テーマは高周波対応回路、3D回路、機能性フィルムに関するものが多く産業界と共に取り組んでいます。材料、プロセス、表面処理、設計と広範囲にわたりますが、これらは関連が深く融合的に検討を進める必要があります。他に車載、航空機、医療機器に関する案件もありますが、取り組んでいる案件はいずれも“生活を便利に快適にそして健康に”という方向に繋がっていると思っています。さて、2020年、第5世代移動通信システム“5G”(5th Generation Mobile Communication System)時代が到来しました。既に5Gを利用している方もいらっしゃるかと思います。そのような中にありながら、早くもBeyond 5G/6G(6th Generation Mobile Communication System)の実現化に向けて各国で検討が進められています。5Gと6Gの大きな違いを一言でいうと、通信高速と容量の差にあります。4Gでは1Gbpsだったのが5Gでは10Gbps~すなわち4Gに対し10倍以上になったわけですが、6Gでは更にその10倍以上の100Gbps以上が想定されています。自身はまだ5G未使用者ですので6Gをどうのこうのという立場にはありませんが、4Gで十分満足している自身にとっては“そこまで必要?”と思いつつ上記のテーマに取り組んでいる次第です。国際電気通信連合無線通信部門(ITU-R)は、2030年までに6Gビジョンを完成させ実用化を目指すとしていますが、一方でIoT(Internet of Things)が順調に普及した場合、5Gでは処理能力が追いつかなくなるとの懸念もあり、6Gの前倒しという見方も出てきています。日常生活において5Gの利便性を感じることはまだありませんが、5G、6Gで生活がどのように変化するのか、何ができるのかはweb検索頂けると沢山紹介されていますので、興味のある方はご覧頂けるとよいかと思います。
 数年前の記事になりますが、IoTによるライフスタイルを予測した鴻池賢三さんの記事を保存していましたので以下に紹介します。

「朝の目覚め。うるさい時計のアラーム音は無くなり、体に取り付けている生体センサーが眠りの浅い状態を検知し、カーテンを自動で開けて日光を取り込む。自然で爽快な目覚めだ。
 キッチンに向かうと、淹れたてのコーヒーと、焼きたてのパンが待っている。毎日の食材は冷蔵庫が消費度合を検知して自動注文する仕組みで、「ミルクが無い!」といった問題も起こらない。
 トイレでは、体重測定と尿検査が行われ、健康状態をチェック。毎日データを蓄積することで、体調の変化を的確に分析でき、異常があれば教えてくれる。
 着替えはクローゼット任せ。その日の天候やイベントに合わせて最適なコーディネートを提案。
 さて出社、玄関には自動運転カーが待機。その日の出社時間、道路の混雑状況も把握しているので、いちいち予約操作する必要はない。移動時間は車内テレビで情報収集。昨夜見逃した情報番組が自動で再生され、今日の話題にもついて行けそうだ。
 ランチの時間。体調に合わせて人気のレストランとメニューを提案。ここ最近は糖質控えめのメニューが多いようだか、尿検査の結果が反映されての事だ。
 仕事が終わって帰宅。スマートフォンの位置情報から、帰宅時間が推測できるので、エアコンが温度と湿度を最適化。快適な空間が疲れた体を優しく迎えてくれる。
 夕食は、残った食材の片付けを優先。冷蔵庫が賞味期限の近い食材と量を検出し、クラウドサーバーに伝えてメニュー候補を抽出。過去の嗜好情報を考慮するのはもちろん、ネットで話題のメニューも織り交ぜ、飽きること無く楽しむことができる。調理の大半はオーブンレンジが自動で行うので、人間は食材を確認してセットするだけと簡単だ。
 食事の後は、趣味の読書と音楽。一冊の本を手に取れば、カメラがタイトルを感知して、内容に応じた曲を自動で流してくれる。サブスクリプション型の聴き放題サービスが定着し流行の最新楽曲も流れてくるので、新しい音楽との出会いも楽しめる。夜更けには、明朝の起床時間をターゲットに就寝時間を決定し、音楽と照明が睡眠を促す。
 こんな風に、無理なく健康で快適な生活が送れるというわけだ。」   (鴻池賢三)

 確かに快適そうです。記述されていることは既に実現済、または実用可能な状況にあります。
 未来のライフスタイルはネット、AIなどを活用し便利且つ快適(?)なライフスタイルとなることは容易に想像できますが、反面、スマホやPC操作を苦手とする方や最新機器の購入が困難な方にとっては、その恩恵を受けることが出来ないことも想定され、生活スタイルに大きな格差が生まれることも懸念されます。そんなことを考えている折、6月22日の読売新聞朝刊に「デジタル社会が怖い」というコラム記事が目に留まりました。50代男性会社員が投稿されたものですが、要約すると“個人の行動や情報が収集され支配化社会に置かれるのでは”ということに対する恐怖と拒絶感を背景に、デジタル社会と極力距離をおきたいというものです。科学技術の進歩は生活を便利にする分、その代償も大きいかと思います。また、消えていくモノや風習、文化もあるでしょう。しかしながら、時代の進歩にあらがうことはなかなか難しいのも現実です。
 最近、敢えて昔のライフスタイルを求める人が増加しているという話題を報道や雑誌で目にします。“不便を買う、不便が売れる”といった時代の到来のようにも感じます。
 生活環境や製品は「もっと便利に!」「もっと楽に!」「もっと快適に!」を求めて発展してきたと言えます。しかしながら、物が溢れ価値観が多様化した現代においては、この志向は崩れつつあるのかもしれません。では、何故、敢えて不便を求めるようになってきたのか? 最新のハイテク家電やお洒落な家具が売られているのに敢えて不便なアナログ製品やアンティーク家具を求めるのはなぜか?ここには昔を懐かしむノスタルジーさもあるかと思います。それなりにものが事足りてきて、それが当たり前になった昨今、モノや生活環境に対する価値観を各自が選択できる余地ができたということなのかと。数年前から、田舎暮らしを求む方が増えていることも不便さ楽しむことの現れではないかと思います。実は、私自身もまさにこのケースです。そこで、昨年、思い切って大正レトロ調を目標に自宅をリフォーム!結果的には昭和30年代?の雰囲気に仕上がりました。予算オーバーで一部は自身でのDIYとなりましたが大満足です。調度品類は古民具を物色しに奔走し調達しました。リタイヤ後のセカンドライフは原風景が広がる場所で古民家暮らしを夢見ていますが、最低限、ネット環境だけは必需かなという点は否めません。
 生活環境が便利になっていく昨今、不便な環境を何故求むのか? そこには心情的豊かさ、人やモノとのコミュニケーションの在り方を懐かしんでいるのかもしれません。
 IoTによりライフスタイルが変化していくなか、消えていく習慣やモノ、音なども沢山ありなんとなく寂しい感じもします。デジタル化が急速に進む中で、身の回りにある製品・サービスはどんどん効率化されて「便利」になっています。その一方で、「時間がかかる」「操作が複雑」「手間がかかる」など、不便なことは敬遠されるかと思いきや逆にそこに価値を見出そうとする人が増えてきているように感じます。私事ですが、前記のリフォームの他、最近、天体写真の趣味に十数年ぶりに復帰していますが、デジカメなら数十秒の露出で済むところ、敢えてフィルカメラで1時間近い露出をして楽しんでいます。成功率はデジカメの方が圧倒的に優位で、最新技術が詰まった機材に任せ撮影後、画像処理といった魔法により仕上げることが出来ますが、フィルム写真は一発勝負です。しかしながら撮影している時間は多少の緊張感をもって楽しんでいます。また、フィルムの場合は写真が出来上がるまでのワクワク時間も楽しめます。出来上がりの写真はデジカメより階調が滑らかで個人的には好みです。
 京都大学の川上教授は、効率だけを追い求め「便利」なものだけが認められる風潮は何か押し付けられた宗教のようだとし、不便だからこそ得られる益「不便の益(benefit of inconvenience)」に注目すべき1) と語っています。
 不便さを楽しむ懐かしむといっても現代の便利な時代にあっては、便利さと不便さのバランスも大事かと思います。生活の中に便利さと不便さのバランスを取り入れるには、なんといっても「心の余裕」があってのことだと思います。
 心の余裕、何事においても大事なことですね(^_^)
 IoTに制される生活は果たして望まれるライフスタイルなのか??

参考
1)https://www.hakuhodo.co.jp/magazine/78653/ 「不便益」のススメ(京都大学 川上浩司教授×研究開発局 野坂泰生)