3年ぶりのOB会

関東学院大学
本間 英夫

11月の中旬に中村先生を偲び、また研究室OBの交流を図るために3年ぶりにOB会が開催された。

 中村先生が本学に奉職された経緯は、ご自身でお書きになった随想禄に詳細にかかれているが、産学協同のルーツともいえる大学事業部の研究開発総責任者、および機械科の助教授として就任され、それから5年後、化学科の設立に尽力された。

有機化学、無機化学、化学工学、電気化学を4本の柱とし、特に電気化学に関しては、当時の実力者を招聘するにあたり多大の努力をされたのである。おそらくその話を知っているのはもう私だけなのかもしれない。当時の実力者は今と違って、三歩下がって師の影を踏まず。明治生まれの教授は権威があった。

 お迎えするにあたり居室は一番、日当たりがよく南向きの部屋であることとの条件が提示された。したがって、大正生まれの中村先生は、北向きの日当たりの悪い部屋に甘んじることになったのである。そういえば、当時先生の居室には、ガスクロ、赤外分光、紫外可視分光の機器が所狭しと置かれていたが、一年を通じて全く直射日光があたらなかった。機器のためには良かったのかもしれないが?

工業化学科の唯一の建物であった三階建ての化学館(5号館)は、現役として、今も教員の居室兼実験室、学生実験用に使用されている。キャンパスの地盤が軟弱なこと、また当時は未だ基礎工事がしっかりしていなかったので、館そのものが沈下し、また外壁のコンクリートの亀裂、はがれが顕著で、補修工事をしながら使用されている。

私も、うかつであったが、本年が工業化学化創立40周年、記念式典を来年の3月に開催する運びになったようだ。もし、このことを夏休み前に知っていれば、我々の研究室のOB会を式典の日に合わせ、時間をずらして開催すれば、化学科全体の式典参加と研究室のOB会に参加でき、さらに思い出の多い一日を作り出すことが出来たのにと残念である。

 ともかく、化学科が設立されてもう40年、研究室を巣立ていったOBも、一期生は60歳の還暦を迎える人もいる。化学館も老朽化してそろそろ立て直さねばならない時期にきている。研究室を巣立っていた卒業生は総勢で250名。

OB会の準備過程

 4期生のOBが自ら買って出て日程、開催場所、会費の支払いに関する文章を作成し、各期の取りまとめ役のOBに、その文章を郵送し第一段階の準備が終わったかに見えたのは、夏も終わり頃であった。

 それから1ヵ月しても、一部のOBからしか連絡が入らない。どうも、各期に郵送したOB会の文面が若干要領を得ていなかったのか、かなり誤解があって、いずれまた研究室から連絡があるだろうと思っていたようである。

今回は小生が外国に行ったり多忙であったので、自分が音頭をとって指示するのでなく、OBと現役の大学院の学生で、ことを上手く運んでくれることを期待していた。

 OBに対する連絡を初め、もろもろのことを代表幹事の4期生と話をさせ、現役学生に全て任せてみることにした。

 ところが前回の開催から3年経過していたので、彼らは何も先輩から受けついでおらず、3年前の名簿と会計報告があるのみ。全くノウハウが無い、さらにはOB会のイメージがつかめない。

やはりこの種の会は、小生がOBに対する文章の作成、ホテルとの交渉、特に会費との絡みで料理に対する注文、式のプログラムなどある程度ポイントを抑えておく必要がある。

 そこで今回は、学生と一緒にホテルに出かけ、値段、料理、プログラム、受け付け、その他の打ち合わせをした。小生はいつもせっかちでテンポが速いのでホテルの係りの人も、少しは戸惑ったと思うが、理屈のとおらないところは値切り、その交渉の一端を学生が垣間見て、彼らも勉強になったはずである。

 小生は自分個人のことであれば、このような交渉を滅多にしないが、OBから集めた会費で運営するのであるから、こういうときは吟味する。

 後は、現役の大学院学生の負担が大きくなるが、皆で手分けして準備を進めればよい。もう一度OB会の開催に関する文を、4期生の作成した文章を生かしながら作り直し、卒業生全員に郵送した。

 アンケート調査ではないが回収率は90%以上、小生が直接指導したOBに関してはそれこそ100%に近い。出席者は160名、一般にこの種のOB会の参加人数はこんなに多くはならないようだ。

 同期会であれば出席率は高いが、普通は同窓会の出席率はせいぜい2~3割どまりであろう。毎年8割以上の卒業生が表面処理の関連業界に就職しているので先輩、同僚、後輩との絆が極めて強い。

研究室を運営する我々の責任

 日本中どこの大学を探しても、1研究室で表面処理の関連業界に、これだけ輩出している研究室は無いであろう。伝統と歴史の重みを、参加した卒業生全員が感じたと思う。また電気化学担当の山下教授の研究室では、電気化学計測を中心としてめっきの機構に関して研究が積極的になされている。山下先生も最近は、我々のやっている領域に興味をもたれ、昨年から共同で、実装関連のめっきに関して研究を始めた。その成果はすでに関連の学会誌に投稿し、本年の7月号にその論文が掲載された。「関東の表面処理」はこのように広がりを見せており、波及効果で他の研究室でも、卒業生のかなりの割合が、表面処理の業界で活躍している。おそらく、化学科の全研究室を合わせると、400名を越えるであろう。これはOBとしての大きなパワーである。

国立大学の独立法人化、少子化による18歳人口の激減に伴う、大学冬の時代への突入。9月号に書いたが、もう数年すると我々の大学もFランクに入るといわれている。

 いわゆる今までの評価(偏差値)で、全くFランク入りする危険の無い大学が、すでに如何に大学をサーバイブさせるかいろいろな対策を講じている。

 さて、我々の大学ではどうだろうか?

 もはや他大学がすでに対策しているのと同じことをやるようでは、今までの価値観や評価から完全に立ち遅れてしまう。

 この現実をOBの諸君が知ったらどうだろう?自分の母校がどんどん衰退していくとしたら、こんなに寂しいことは無い。皆誇りを持って母校を愛する気持ちを持って、充実した毎日を送りたいと願っているはずである。

 今回のOB会で、この現実問題を余りリアルに伝えるのはひかえたが、本学の特徴は何かと問われたときに、紛争前は即座に産学協同で事業部を大学内に持っているといえた。しかし、今はどうだろうか、どこに特徴があるのだろうか?

表面処理関連の業界への人材をこれだけ多く輩出してきたのは、大きな特徴ではないだろうか。学会への論文もすでに、100報を越えている。口頭発表はカウントしたことが無いがすでに600報をこえているであろう。「表面処理の関東」と言われる所以は、事業部時代からの伝統と、その技術の研究を産業界に、または学会に公表してきたからである。

 少なくとも今回OB会に出席した連中は、そのことを実感したと思う。小生は今が絶好のときであり、行動に移すときがきたと判断している。今しかない。これからはどんどん化学科に入学する学生が減り、ジリ貧になることは目に見えている。

 決して表面処理の業界は小さくは無い。エレクトロニクスの大手の企業が最近表面処理の重要性を今まで以上に認識してきている。アメリカではジョージア工科大学だけで実装関連の教授が50人以上いると聞く。

実装工学という領域を国家プロジェクトとして構築し、各地にコンソーシアムも設立されている。北欧のヘルシンキ工科大学も然り、ドイツのベルリン工科大学然り。日本にもその拠点を構築せねばならない。この数年の間で、特に昨年はイギリス、フィンランドの両大使館を通じて、是非小生の研究室を訪問したい、実装に関連する技術を知りたい、と総勢で20名以上の研究者、大学教授が研究室を訪れた。会議室を借りて日本における実装のトレンドに関しては、おそらく満足されたと思うが、狭隘な実験室を見てどう思ったのであろうか。

生き抜くための構想

我々の大学の工業化学科の中に、この実装や表面処理を中心としたコース、または研究所を作ってはとの要請を、産業界から受けたことがたびたびある。

 中村先生の指導のもとにプラめっきに始まり、環境問題にいち早く着手し、続いてコンピューターを用いた化学制御を研究し、さらにはプリント基板の一連の化学プロセスから実装領域に展開し、今では半導体の成膜プロセスまで研究するようになって来た。

 上記のような関東学院大学の伝統と他の大学に無い特徴を守り、さらに発展させねばと、必死になって産業界からの協同研究、委託研究や公的研究機関他大学との連繋を実施してきた。

 しかし、もう一人の教員と大学院の学生からなる1研究室では限界に達している。これだけ産業界から,学会から、他大学から、公的機関から注目してくれている。今しかないのである。行動に移さねばならない。

 今回の加藤議員の行動を、小生はものすごく注目していた。腰砕けである。勇猛果敢に国民をバックにつけ、行動すれば大きな政変の契機となったはずである。

 年を取ると私を含めて、どうしても現状維持で、余り急激な変化を好まないのであるが、それにしても今回は絶好のチャンスであった。結局は党利党略、派利派略、コップの中の単なる争いだったのかと、あれでは評価ががた落ちである。自分の信念で行動に移すであろうと、皆が望んでいたのに。

 話を戻すが、もし研究所組織を設立すとしたら賛同者をOBやOB企業、産業界から募りある程度きちっとした趣意書を作成して、OB先輩諸氏の意見、関連企業の役員の意見、先生方の意見を聞いて、行動に移さねばならない。

化学科のコースを作るとすれば、この場合は特に先生方との協議になるであろう。どちらが大学の将来にとっていいか?当然両方とも平行して実行に移すことが出来ればベストである。

ここに記したことがただの夢に終わらないようにしなければならない。

 実はこの種の構想は、今から30数年前に着々と進められ、当時の理事長坂田佑先生が了解済みで、白山源三郎学長との間に、第2工業化学館の設立の確約書まで出来ていたのである。このことに関しては、現在の本学のトップは誰も知らない。

 おそらく小生以外には、唯一、化学工学を担当している香川教授だけが生き証人である。

 事業部での利益を一部還元し、めっき学会の本部を本学に置き、表面処理工学科を作る準備が実は進んでいたのである。

 そのとき本学に招聘する教授も、どこの大学の誰に来ていただくかまで、中村先生は決めておられた。それは小生が確か未だ助手のときで、この話は誰にも言うなと、先生から強く口止めされていた。この構想はあの学園紛争で、全て立ち消えになってしまったのである。

 先生は学園紛争が収束に向かっているときに、敢えて大学を去られた。

表面処理の業界のために、自分はコンピューターを導入しなければならないと・・・・・。

実現に向けての具体的な行動

 中村先生が30数年前に表面処理学科を作る構想をもたれ、実際に大学上層部と化学館を作る確約を取り、具体的に行動しようとしていた矢先に、学園紛争が激しさを増してきたのである。特に、当時はすでに事業部でプラめっきは量産に入り、世界に先駆けてこの技術を立ち上げていたので、国内は勿論のことアメリカからも見学者が殺到していたものだ。

 また、その技術の延長線上として、現在はエレクトロニクス製品の全てに使われている、プリント基板の製造プロセスも確立されようとしていた。

 大学の「人になれ奉仕せよ」の校訓を着実に守り、実行し、特許は取らず、全国から訪ねてこられた技術の方々に、詳細にわたってお教えしたものだ。

 また、その事業部はキャンパスの中に500名を越える従業員を抱えていた。製造や技術に携わっている若い人たちの多くは、昼働き、夜は工業化学科、機械工学科、電気科などで学んでいた。産学協同の最も理想的なシステムが本学にあったのである。

 しかし、残念ながら、この理想的な大学の運営方式は、当時の世界的に吹き荒れた学園紛争、学問とはなんだに始まり、特に本学では日本唯一の工場を持つ大学であったので、産学協同路線反対の狼煙が巻き起り、実現寸前の構想を断念せざるを得なかったのである。

 中村先生の心中はいかばかりか。先生が自信を持って、この構想を実行に移すところまで来た背景には、昭和30年後半から40年代の工業界の成長期と呼応していた。

 先生は、アメリカの表面処理工業会のブランチを日本に作られ、会員企業は全て、主だった表面処理企業から構成されていた。定かではないが100社くらい会員企業になっていたと思う。その方々から、表面処理の学科を作って欲しいとの要請が強く、またその際は全面的にサポートするとの確約を頂いていたと。これも後日、先生が直接小生に語ったことである。

しかしながら、本間おまえは大学に残れ、俺は中小企業のために他の方法で働くと、大学を去られたのである。その後は小生が、たまには大学に足を運んで、後輩に檄を飛ばしてください。実際の実験の様子を見て、コメントくださいと何度も要請したが、先生は大学を去ってからは、一度としてキャンパスを訪れなかった。ものすごい思い入れがあり、自分の考えが社会情勢の中で実現できなかったことが、悔しかったのであろう。

 今こそ規模は小さいが、その何分の一でもいいから、実現しなければならない。

 繰り返すがその時期は今しかない。今まで東大、東北大、静岡大、群馬大、早稲田、日大、都立大等を卒業した企業からの研究者を研究生として受け入れてきた。外国からは韓国、アメリカ、イギリスからも受け入れてきた。

現在も企業から、研究生を受け入れてもらえないかとの要請、またドイツ、インド、韓国、中国などからポスドクとして、数年研究したいとの要請、カナダの国立研究機関から協同研究の要請もあるが、全てお断りをせざるを得ない。

現状は40平方メートルの小さい実験室に、学部の卒研生12名、博士前期課程5名、博士後期課程4名がひしめいているのである。

 本学に表面処理関連の研究所を設立することは、今までの伝統から、是非実現しなければならない。ただのオフィスのフロアーがあるだけでは意味が無く、実際に協同研究、委託研究、客員研究員や客員教授を受け入れ、冠講座を開くとか、シンクタンク的な要素も入れた研究所組織は作らねば意味が無い。

 また工業化学科に表面工学コースを設け、数名の学生を毎年受け入れる。表面処理の業界は現在日本に3000社近くある。規模は中小がほとんどである。現在学部の1年生に2人、3年生に1人、大学院の博士前期課程に1人、後期課程に1人、経営者の子息が勉学に励んでいる。実際にコース制を導入し、きちっと養成すれば規模は小さいだろうが、全国に知れ渡り経営者の子弟のみならず、役員や従業員の子弟を初めとして、表面処理の領域で活躍したいと高校の先生、一般の高校生の中からも表面処理の領域で活躍したいと、応募者がでてくるであろう。本学にとって、一つの特徴になるであろう。

 これらの構想を実行に移すにあたっては、色々な意見を皆様からお聞きしたい。

小生の研究室へメールで、是非ご意見をお願い致します。