エレクトロニクス実装学会での特別講演

関東学院大学
本間 英夫

 特別講演は、その道の権威か、または主催校の著名な先生にお願いするのが一般的である。さてー困った。誰が主催校として目玉になるだろうか。なかなかいいアイデアが浮かばない。えーい、面倒だ。いっそのこと、もし、その道の権威が人選できない場合は当て馬として、小生がやってもいいと事務局に話したのが学術講演大会の2ヶ月くらい前だった。 案の定、実行委員会でいい案が浮かばず、小生が講演をすることになってしまった。 講演時間は50分で、一般講演よりは長いが、今まで引き受けてきた依頼講演や招待講演と比較すると、少し時間が短い。そこで当学会で5、6年前に小生がネーミング提案したマイクロファーブリケーション研究会に対する思い入れがあること、また現在さらに微細化してナノファーブリケーションが話題になっていることから、タイトルはマイクロファーブリケーションとめっき技術、副題を「プラめっきから半導体のめっきまで」とした。 当初の構想では、講演の冒頭で、35年位前にプラめっきを世界に先駆けて工業化した大学であるとアピールするつもりでいた。 たまたま、関東化成で3月中旬に学会のリハーサルをする計画があったので、学生ともども出かけた。いつもは気にしないのであるが、図書室で皆と歓談しながら昼食をしていた。そのとき、中村先生の学位論文が目にとまった。この学位論文は小生の部屋にも、一部保管してあったのであるが紛失し、もう30年以上になる。 おそらく学生が自宅に持ち帰り、そのままになってしまって、返せなくなったのであろう。その他にも、現在絶版となっている貴重な、いくつかの本が無くなったままだ。 一度OB会の席上で、諸君の部屋の片隅に返却するのを忘れて、眠っている研究室の蔵書があれば、何時でもいいからソーッと、小生の研究室の書架に返しておいてくれないかと、お願いしたことがある。 学生にとっては、それほど貴重に感ぜず、今となっては返却できないのだろう。もうすでに廃棄してしまっているかもしれない。 話を戻すが、中村先生の学位論文の公聴会に配られた小冊子は研究室に2部くらい残っているが、オリジナルの学位論文を実際見たのは、左記の理由でもう30年位前である。このオリジナルがなくなる前に、当時の卒業生が青色の湿式コピーをしたのを記憶していた。 小生は15年位前にそのことを思い出し、それをまたコピーしたものを研究室に保管していたのである。 したがって写真は細部がボケているし、今回の偶然の発見は、昔の恋人に再会したような、うきうきした気持ちにさせてくれた。現在、関東化成の技術のトップになっている小生の研究室の豊田君に、しばらく先生の学位論文を借りる旨伝え、研究室に持ち帰った。 おそらく、最近は全く閲覧されていなかったのであろう。手書きの分厚い論文である。

今注目されているビアフィルが!

 緒言、実験方法とページを開いていくと、セピア色になった写真がでてきた。実は先生が50年近く前にレベリングを調べる際に、どうやってV字溝を切っていたのか、以前から知りたかった。すでに当時から精巧なV字カットの試験機があったとは! しかもそのセピア色の写真から小生は愕然とした。

今から35年位前、関東化成が事業部時代に使っていた大学の実験準備室が、小生の居室になっていた。そこには埃と油にまみれ、大きさが小型のクーラーボックスくらいで、ものすごく重い、なんに使われたのか分からない機械が置かれていた。付属品があれば判断できたかもしれないが、オリジナルの先生の論文を見ていなかったので、当時の学生と廃棄処分の日に他の使えなくなった器具類と一緒に捨ててしまった。装置の写真と、それを用いて当時先生が研究しておられた光沢青化銅めっきの研究結果を示すが、なんと今まさに実装関係の最大で、しかも緊急のテーマになっているビアフィルに類似する研究が、すでに50年近く前に行われていたのである。4、5年前からミクロンオーダーの穴に電気めっきや無電解めっきで銅を埋める実験をやっている。穴が埋まったかどうか判断するには、そのサンプルを透明な樹脂の中に埋め込み、そのミクロンの穴の場所を研磨しながら探る。ちょうど穴の中心のところまで精密に研磨しその断面を観察するのである。大変な忍耐と緻密性を要する実験である。それを研究室の学生は毎日のようにサンプルを作成し観察しているのである。もう少し簡単に観察出来ないか、V字のレコード針を用いて出来ないか、一度検討したが余り上手くいかなかったので、従来通り穴を観察することにしていた。頭の片隅には、中村先生の学位論文の中のV字の溝をどのようにして作成されていたのか知りたかったのである。 

講演のストーリーの再構築

 よーし、講演ではプラめっきから話すのではなく光沢青化銅めっきから話さねばならないと。現在、まさにビアフィルや半導体の銅配線いわゆるダマシンプロセスのルーツが50年前になされていたのである。 先生の論文を見ると、引用文献にはドイツの貴金属研究所の創始者であるラウブ博士の論文が引用されていた。 JAMFの海外研修で、20年位前に晩年のラウブ博士にお会いして感激した記憶がよみがえる。おそらく同時期にドイツでも同じ研究が進められていたのであろう。 講演では、先ず本学が産学協同のルーツであること。ビアフィルやダマシンで検討されている添加剤や、パルスめっきが50年も前にすでに検討されていたこと、次いで間髪をいれずプラめっきの開発へとつながり、しかも世界に先駆けて工業化したこと。無電解めっきのセオリーである混成電位論は兄弟子のドクター斉藤が提案したのであると。その後、小生がその伝統を継承し、すでに20年以上前に1ミクロンのマイクロパターンを無電解めっきで形成したことへと話を続けることにした。 おそらく聴衆のほとんどは、関東学院大学と表面処理の関係について、うっすらと了解しておられたであろうが、こんなに歴史があるとはご存じなかったと思う。いい機会を与えて頂いたと感謝している。 さて、このように産学協同のルーツを枕に語った後は、小生の研究室での最近の成果を中心に話した。次号では、その内容を紹介する。