いわゆる中村裁判

関東学院大学
本間英夫

青色発光ダイオードの発明者・中村教授が、元勤務先である日亜化学工業に対して数百億円の発明対価を請求した訴訟で、日亜側が8億4391万円支払うとする和解で決着した。この和解に応じた原告の中村教授は、東京都内で記者会見し、「この和解内容は100%の負け。和解に追い込まれ、怒り心頭だ」また、和解額についても、「裁判官は訳の分からない額を出して『和解しろ』と言う。日本の司法制度は腐っていると思う」と憤った。中村教授はさらに続けて、「力のある人は、アメリカに来ればいいんだ」とはき捨てるように言っていた。

今回のいわゆる中村裁判が始まってから技術者の処遇に関し、日亜化学工業以外の企業においても、相当の対価の支払いをめぐる元従業員との訴訟が頻発し、特許の報奨制度を見直す企業が相次でいる。

多くの技術者は一連の裁判をどのように見ていたのかと、興味があった。実施されたアンケート結果によると、中村裁判に「意味があった」とする意見が89%、発明における技術者の貢献度は「5%~20%の範囲にあるべき」との意見が最も多かった。また、「日本は今後、知的財産(知財)立国になれない」と否定的な意見が52%に上るなど、特許にまつわる課題がまだまだ山積していることも浮き彫りになった。

青色LEDは電気を通すと青く光る半導体で、これまでは赤と緑に関しては発光強度が十分であったが、青に関しては強度を上げることが出来ずフルカラー化が困難であった。

確か20年位前だったが、ハワイで日米合同電気化学の学会に参加した際、自分の専門領域とは異なるがディスプレー関連に興味があり、そのセッションを聴きに行った。そのときに青色は強度が出ていない、強度が上がればフルカラー化が出来ると、当時著名な先生が力説していた。

したがって、この発明でフルカラーの表示が可能になった。青色半導体は携帯電話など小型液晶画面のバックライト、次世代DVD、その他、広く使用されだした。現在の市場規模は年間約3000億円といわれているが、2010年には1兆円に達する見込みである。
 日亜化学工業の社長曰く「青色LEDは中村さん1人だけではなく、多くの人々の努力と工夫により実用化にこぎつけたのである」と、まったく同感である。

手前味噌で恐縮ではあるが、我々もプラめっきを始め、シアンの処理法の確立、各種廃液処理法およびリサイクルシステム、高速無電解銅めっきの開発、プリント配線板製造プロセス、コンポジットめっき、最近ではエレクトロニクス実装関連のいろんな開発と、創造性の高い開発の実績を上げてきている。

多くの新規な発想は、確かに個人的なセンスから湧き出てくるが、これらの考えを核にしてあとは学生諸君との地道な実験、ディスカッションに基づく改善、改良、さらには関連企業との協力関係により完成度を上げ、ほとんどの場合、実用化にいたるまでには5年から10年かかっている。

発明を金銭のみで評価するようになってくると、純粋に開発に関わっていた研究者や技術者が金の亡者となり、豊かな発想が出にくくなるのではと懸念される。確かに、この種の能力に対しては相応の対価は必要であるが、個人に対してだけでなくチームに対しても、それ相応の対価を支払うようになれば企業も個人も心身ともに豊かになるはずである。確かに中村氏の発明に対して、当時2万円しか報奨金が出なかったことは多いに問題がある。

それにしても、中村氏が開発に携わった後も、まだまだ解決しなければならない問題がたくさんあり、多くの技術者が実用化に向けて検討を加えてきたはずである。

ほとんど経緯を知らないのにコメントするのは控えなければならないが、ベンチャーのように自分で会社を興して研究を行った場合と異なり、サラリーマン技術者の場合はその企業に入って始めて開発テーマを知る場合が多く、会社の要請に基づいて個人またはグループで研究が始まったはずである。しかも、多くの発明は積極的に真剣に関わった個人に、神からの啓示のごとく偶然にキラットしたことに遭遇し生まれる確率が高い。

これまでも幾度となく述べてきたが100の大発明のなかで1から2件だけが理論をベースにしており、ほとんどは偶然と模倣が大発明につながっているのである。さらに実用化に至るまでには、たくさんの技術者が関わっている。研究成果は、個人だけの業績ではなく、それに携わった全ての人々の業績であり、チームプレーである。常日頃から、その意識を持って研究に臨めば、研究が結実したとき、それに携わった全ての人々に感謝できるのではないか。

そういえばもう一つの人口甘味料の特許では、一連の裁判で提訴した当事者は全て友人をなくしたという。中村氏も元勤務した企業には誰も理解者はいないのではないだろうか。寂しい限りである…。

知的所有権の保護に関する世界的な潮流の中で、開発型の企業では知財全体に関しての包括的な規定や報奨金などの整備に入っている。確かに日本では研究者や技術者に対する報酬は金融関係のビジネスマンと比較して低い。

この特許が出願された一九九〇年の時点では、ほとんどの企業では特許権の譲渡に関する明確な社内規定がなかった。 特許法で、業務上行った「職務発明」について、特許を受ける権利は発明者自身にあり、企業は社員に「相当対価」を払えば、特許権自体を取得できるとしていたが、 その対価の具体的な基準がなかった。どこの企業でもこの曖昧さが紛争を招く原因となっていた。 

 最近では中村裁判や、その他いくつかの企業での特許裁判から、開発に携わった社員に報いる仕組みが導入され、拡充する方向にある。我々の研究所でも、現在発明に関する規定を作成しつつある。

このように日本も知的財産権を有効に戦略的に活用しようとする動きが高まったのに加え、年功序列から能力主義に傾斜してきた。

日本の産業競争力を高めるために、政府は知的財産基本法案を国会に提出し施行を目指している。今回の中村裁判を契機として、特に開発型の企業においては開発者の権利を尊重し、研究に打ち込める環境整備が急がれる。

小生自身も、このシリーズで記したように、かなりの数の特許を申請してはいるが、これまでは全てデフェンシブな特許で積極的にそれで益を上げようとしていない。

むしろこれまでは特許申請、取得するよりも、学会での講演や、学会誌に開発内容を投稿することによって、それが環境関連、表面処理関連、実装関連で産業界に貢献してきたと自負している。しかしながら、これからは知的財産を守り積極的に展開せねばならない風潮になってきた。

この時代の流れの中で、我々教育の立場にある者としては、研究室と研究所が一体となり先ず産業界から魅力を感じていただける学生を育てることが最も重要な使命であると考える。

各企業は今までのように新入社員を長期に研修する余裕がなくなってきており、より質の高い学生を要求するようになってきている。その期待に応えることを常に意識し、研究内容も各企業と連携して、数年先の実用化に近いテーマを始め、大学の研究機関でしか出来ないような長期的なテーマを設定し、これらの中から学生には必ず複数のテーマを選択してもらう。アメリカ大リーグのバリー・ボンズのようなホームランは飛ばせないが、発想を大切にし、今年もイチローのように何本かのヒットが出るよう邁進する。