産学連携に向けて

関東学院大学
本間 英夫

日本学術会議は科学技術政策に関する提言で、大学から生み出された科学研究に対し、米国や欧州と比較して日本の研究効率の悪さを指摘している。この調査は科学技術基本計画(2001―2005年度)において重点分野として指定された生命科学、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料の4分野についてのデーター(2002年度)に基づいている。

研究成果は、論文の出版数、引用回数、特許出願件数などをもとに評価している。それによると、米国は日本の約2倍の資金で日本の3―4倍の成果を得ているし、欧州各国では日本の2―4割の資金導入で8割程度の成果を引き出しているという。また昨年、英科学誌ネイチャーに掲載された分析でも、先進7か国中、英国は投入予算などが少ない割に成果が大きく、日本は投入予算が多いのに、成果は最下位と評価されていた。しかしながら日本においてはこの基本計画が緒に就いたばかりで、5年間の計画で最終年度、もしくは終了後の評価であればともかく、先ごろの発表は、2年度終了時の中間的なデーターに基づいているので酷な評価である。

これまでは多くの場合、企業は独自に開発に当たり大学との連繋は希薄であったことは否めない。しかも一部の大学を除いて企業は大学の研究を大きくは評価してこなかった。しかしながら、この十数年で企業の体力は大きく消耗し、独自開発よりも21世紀型の開発には産学連携が必須と政府も大きく動き出したわけだ。 

これまでは、ほとんどの大学では技術的な発明にたいしても、特許を出願するときは共同研究をした企業が出願費用を肩代わりする形で取得することがしばしばであった。また多くの大学の研究者はこの種の応用研究よりも、基礎的、学術的な研究に注力してきた。したがって、多くの大学の研究者は産学連携や特許に関して、関心を示してこなかった。

以前から、特許に関してこのシリーズで自分の考えや、これまでの特許のとり方に関しても紹介してきたが、大学に特許を評価する仕組みがなかったため、企業に肩代わりしていただく方法を取り入れざるを得なかった。

このように、大学では知的財産に関しての考え方はきわめて希薄であった。ところが、産学連携の要請がにわかに高まり、大学発の技術を産業界で実用化に役立てる時代になってきた。 

本学は50年位前に青化銅めっき、40年前にはプラめっき、その後のプリント基板製造に関わる表面処理技術では、日本の表面処理産業を大きくリードしてきた、いわば産学協同のルーツである。しかしながら、当時はアメリカに追いつけ追い越せの時代であり、特許で知的財産を守ったり、また積極的に収入に結びつけるような形よりも、全ての技術を公にし、産業界の発展に貢献するように努めてきた。

本学のスタンスは、産業界に対して、校訓でもある『人になれ、奉仕せよ』の精神に基づき奉仕し貢献するという、大学としては理想的アプローチであったが、それに対して当時の学生は産学協同路線粉砕と中身を良く理解する前に、全国的な学園紛争の流れの中で学生から理解が得られるべくもなく、事業部から筆頭株主になって関東化成として独立させた。中村先生は当時表面処理関連の産業界に対して大きく貢献されてきていたので、このままでは大学に残っていても何も出来ないと四十歳の後半に大学に見切りをつけられたわけである。時代に先駆け、産学協同の理想的な姿を追求していた本学にとっては誠に不幸な時代背景であった。

東大闘争を頂点として全国的に広上がった学園紛争後は産学連携に関しては積極的に推進する先生はほとんどいなくなり、私自身はかなり白い目で見られてきたものである。したがって、中村先生に「お前は残れと」と言われその後、決してやりやすい研究環境ではなかったが、開発や技術の内容に関しては常にフェアで中立、なるべく産業界全体に貢献できることをことさら意識してきた。

多くの大学では産学の連繋は否定され積極的に推進するムードはその後20年以上も途絶えていた。したがってここ数年前から、産学連携と叫ばれても即座に対応できる先生はそれほど多くはいない。このように、180度転換の中で知的財産に対する意識に関しても温度差があり「論文より特許」と言うスローガンが出てきたことに反発する研究者が多いのは当たり前である。 

しかしながら、大学の知財戦略を初めとして、産学連携は、時代の流れであり、先生方は情報、技術がインターネットを介して世界中に一瞬に駆けめぐるようになったことを理解すべきである。 

産学連携による社会貢献 

産業技術は大きく変貌している。IT革命により生産効率があがり、品質に差がなくなってきた。日本においては、当然高度で専門性の高い技術にシフトしてきている。 したがって大学の研究も産業界へ近づき、大学の社会貢献というか産学連携が大きく叫ばれるようになってきた。 

産業界から見ても、大学の研究室は、国の研究投資やその他の資金で支えられている研究現場であり、基礎研究の成果が応用・実用化につながるという努力も必要になってきた。 

 もちろん大学の研究室は、学園紛争時代から言われてきているように企業の下請けではない。委託研究などを契約すると、大学の研究成果を全て自社のものにするように条件をつけてくる企業が圧倒的に多かった。それには敢然と大学の立場、学生の立場を主張し理解を求めてきている。

企業が委託する研究テーマーの中に学問的な研究価値がなければ、大学の研究者は魅力を感じないので産学連携は難しくなってくる。

また、時代の流れの中で大学に知財本部がスタートし、特許出願件数やベンチャー創業の数値目標を掲げているところもあるが、ある程度のインセンティブはあるだろうが一部の研究者しか、なかなか対応できないのではないだろうか。

たとえば特許に関して、本学ではこれまで何件位だったのであろうか。大学に貢献することを意識したものは、ほんの一握りなのかもしれない。今から30年位前にさかのぼるが、大学のために少しは役立つだろうと、いくつかの特許を企業と大学名をいれて共同出願の事務手続きをとったが、こんな面倒なことは勝手にやってくれと、その後は関東化成を始めいくつかの委託や協力をしてくれている企業と個人名で特許を申請するしか方法がなかった。それでも委託で受けた幾つかの共同研究の成果として大学の名前と企業との共同特許をその後申請してきたが、おそらく自分が関わった数件だけが大学との共同特許になっているのではないだろうか。最近他の学科で国の資金援助を受けているので特許を積極的にとる必要があり大学の事務と話を進めていると聞いたがまだ完全には大学として整備されていないようである。

3年前に研究所を設立できたので、今までの個人名で取ってきた特許は全て研究所に名義を変更した。特許は件数だけでは意味がない。特許は、世の中にどれ位貢献できるか、もしまったく使用されなければ大学で生まれた技術を社会に還元できない。大学の特許出願が実用化には程遠い「イシコロ」ばかりにならないように努力しなければならない。

最近、「論文より特許」というスローガンが掲げられているが、今まではほとんどどこの大学の研究者も特許など意識していなかったとよくコメントが出ているがそれは嘘になる。

実際活躍されている先生方は企業との連繋が強く、特許のプロセスを十分に理解されている。それらの先生を意識していろんなコメントが書かれているのではなく、逆に今まで特許などまったく関心を示してきていなかった先生方の研究に対する姿勢を是正していただく上において、そのようなコメントがいつも経済関連の新聞や雑誌にコメントとして出るのである。工学関連の大学の研究者や先生方にたいして特許の対象になるような論文を書くように、またその場合は論文で発表した後に特許を出願しても国内ではいいが海外では特許にはならない。  

もう10年位前になるが、世界中から注目される基本特許を企業と共同で取得し、実用化されしかもロイヤリティーも一時入ったが、個人の名前で契約をしていたので、それほど多くの要求は出来ずしかもほとんどを大学に寄付したが表立ってその背景も伝えては来なかった。一部会議のときに伝えたことがあるが、当時はなかなか理解が得られず、嫉妬のほうが多いようであった。本来ならばこの種のことは、みんなから理解され賛同されるべきであり、産学連携も大きく理解が深まるはずだが、なかなかうまくいかないものである。

最近は、IT(情報技術)によって産業技術が飛躍的に進歩したため、大学の研究成果がすぐに産業界で実用化されることが多くなってきた。産学連携は歴史の必然である。 

昨年4月から国立大学の独立行政法人がスタートを切り、産学連携はいよいよ本格的に推進されてきているが、産学連携によって理工学を中心とする大学の研究室や研究所での特許発明の技術に関する研究が増えてくるであろう。 法整備やガイドラインの作成が急務である。

 総合科学技術会議・知的財産戦略専門調査会でも議論が始まっているが、トラブルが出る前に日本の国益も視野に入れた方向付けを考慮しながら、ルールが決めていかれるであろう。我々私学では産学連携推進本部などの仕組みを作りそこで同じようにやりやすい環境整備を早急に構築する必要がある。

 しかし、日本人の悪い癖で一人がひとつの方向を向くと、全員が同じ方向だけを向いてしまう。早急に産学連携推進の仕組みを作るのと並行して、以前から行なわれてきた大学でしかできない基礎的、学術的な研究の重要性も忘れず継続していかなければならない。

今後、さらに多様化、グローバル化する社会においては、そのバランス感覚を養う事こそ、もっとも重要なのかもしれない。