4月号の続き

関東学院大学
本間英夫

結局、同志社には2ヶ月しかいなかったことになる。本学には大学院が設置されていなかったので専攻科に入り、一年後には地元に帰り、親にも迷惑をかけたので、アルマイト工場を経営していた親戚の世話になろうと思っていた。先生に進路について自分の考えを話したら「それよりもお前は残れ」と言われ、素直に従った。現在その工場は、地元ではかなり認知度が上がり、知らない人はいない規模になっている。もし先生の考えに従わず田舎に帰っていたら、今は経営者の一角に座っていたであろう。 

実は、その年に大学院の申請が行われており、(先生は自分には申請中であることは同志社から戻る際に何も言われなかった)認可が下りて、しばらくして大学院の入学試験が行われた。

各科で数名ずつ受験者がいたが機械科、建築科、それと自分の所属する工業化学科でそれぞれ一名が合格した。先生の話では一期生だから厳格に合否を決めたという。この3人の一期生は大学院修了後、大学に残り教員の道を歩むことになる。人それぞれに人生の岐路があるが、その選択は運否天賦なのだろう。

ABS上のめっきからポリプロピレン上のめっき

さて専攻科から大学院に入った当初の主要研究テーマは、ABS上のめっきの前処理に使うクロム酸によるABS樹脂のエッチングの解明であった。

当時、研究室には自分の背丈より大きなガスクロ一台、紫外可視分光光度計と赤外分光光度計がおかれていた。ABS樹脂がクロム酸でどのようにエッチングされるかに関しては、電子顕微鏡を用いて表面がどのように粗化されているか外国で報告されていた。

ABSは当時プラスチックの合金と称して、それぞれのプラスチックの特性を保持した優れものと紹介されていた。しかも、この樹脂がプラめっきとして、これまでの樹脂に比較して優れた密着を得られるのは、一番化学的に弱いB成分だけがエッチングされ、複雑な粗化が行われるのだと中村先生から教わっていたし、すでに論文にも出ていた。

それ以上の情報はなかったので、実際AとBとSのそれぞれ単体、およびAとSの成分からなる樹脂を、中村先生を介して化学メーカーから入手し、それぞれ実際どのようにクロム酸で侵されるのかを調べることにした。

今考えるとよくも強引に危険な実験をやったかと、しかもそれはまったく先生にはどのような手法で実験をやるか、またやっているかは報告もしていなかった。先生は当時多忙でほとんど事業部のこと、および取り巻きのめっき工場の育成に腐心されていたようである。

エッチングの解明と称して何をやったかというと、エッチングによってクロム酸の中にそれぞれの樹脂成分がどのように酸化分解するか調べたのである。

ガス成分はガスクロで、表面の酸化は赤外分光で測定できることは誰でも予測できる。しかしクロム酸の中に樹脂がどのように溶解するか誰も未だ検討しておらず、現在でも自分以外は検討していない。

その方法とは次のような強引な方法である。すなわち、高濃度のクロム酸と硫酸とから構成された60度以上の溶液の中にそれぞれの樹脂成分のパウダーを添加し、1時間くらい反応させ、その後ガラスフイルターを介して未反応の樹脂パウダーをろ過し、樹脂が溶解しただろうその溶液を分液漏斗に移す。

次いで一定量のベンゼンをその分液漏斗に添加して、よく何度も攪拌するのである。

温度はまだ50度以上で、しかも当時は自動の振盪機などなかった時代なので、熱いベンゼンとクロム酸と硫酸の溶液を何度も振盪し、適当な時間にベンゼンのガス圧が高まるので栓を開く、この操作を数回繰り返す。今思うと極めて危険な実験をやっていたものだ。誰もやらない実験だから逆に成果は大きく評価された。人のやらないことをあえてやったのである。その後も誰もやらないからこの論文が評価され、20代で表面技術の便覧の一部を執筆することになる。このようにABS樹脂上のめっきが専攻科から大学院への研究の原点になる。

ABSを用いたプラめっきが工業化されていた同じ時期に、ポリプロピレン(PP)が夢の繊維と騒がれて登場した。しかし当初PPは染色性が悪く、成形性にも問題があったようで、せっかく日本の大手化学工場がアメリカからプラントを導入したのに応用に制約があり、当時のその企業の役員は何かいい応用はないものかと探していた。

そこでPPにめっきが出来ないかと白羽の矢が当たったわけだ。それは丁度、私が大学院一年生の半ば頃だったと思う。中村先生に連れられて四日市のプラントに出かけ、打ち合わせが始まった。アメリカからたくさんの技術者がきてPPの製造プラントが作られたので、会議室は当時としてはモダンで食堂もずいぶん豪華だった。

応接室で洋食のフルコースが振舞われたが、当時はまだフォークやナイフで食事をする習慣はなく、ましてや学生時代は寮生活をしていたので、正式な洋食など経験はなかった。いわゆる「ヨコメシ」と同じで、外国の技術者がそこにいるわけではなかったが、せっかくのおいしそうな料理も緊張して砂をかむようなものであった。

中村先生と相手のトップの技術者が打ち合わせをされ、先ずサンプルとしていくつか成型条件を変えたPPが大学の研究室に送られてくることになった。先ずはこれまで蓄積してきたABSでの密着機構から、同じプロセスで密着性に優れたPP上のめっきが出来るかの検討からスタートしたわけだ。

早速、大学に帰って実験を進めたが、せっかちな中村先生はいつも「やったかまだか」の連続であった。当時は5センチ×10センチのテストピースが入った段ボール箱が何個も送られてきた。片っ端からABSのプロセスで実験したが芳しい結果は得られなかった。

はじめは先生がこうやってみるように、ああやってみるようにとの連続であったが、ことごとく良い結果は得られなかった。その後、PPはABSと異なり選択的なエッチングが出来ないので、ABSを模擬するような形でB成分であるブタジエンを入れれば解決できると先生は提案された。

2週間後くらいに、数%から数十%まで添加量を変えたサンプルが送られてきたが、かろうじて1キロ以上の密着は取れるようになった。しかし当時ブレンドしたブタジエンは数ミクロンと大きく、めっき後の表面は光沢がなかった。しかもPPの性質が大きく低下してしまった。そこで選択的にエッチングされるようなフィラーを入れようということになり、まずセライト、タルクが候補に挙がった。比率をいくつか変えたサンプルを用いて評価したが、やはりあまりいい密着が得られない。相手の企業はかなり焦っているようであった。

あるとき、送られてきたサンプルの密着がABS以上で自分自身飛んで喜んだが、なぜなのかわからない。同じプロセス、同じ浴組成、同じ条件で何も変えていないのに。

なんと!成型時の金型が常時使用されていなかったので錆つき、そのまま成型したサンプルに鉄の微粒子が混在し、密着が上がっていたのである。

いわゆる偶然の発見である。その後、微粒子としていくつか試したが、中でも硫酸バリュウムは効果が抜群で、しかもABS以上の高い密着強度を得ることが出来た。この一連の実験は一年くらいにわたって進めたが、徐々に自分のアイデアも入れながら実験を進めることが出来るようになってきた。

相手企業からはフィラーの入っていないナチュラルポリマーにも成膜出来ればとの要請があり、このころからは先生はあまり「やったかまだか」を連呼しなくなった。

ABSとPP上のめっきが自分の修士論文のテーマであったので、その頃からようやく本格的に参考書や文献を見るようになった。

まず考えたのは、ナチュラルのPPは球晶から出来ているので、非晶質部分を選択的に溶解すればいいはずだと思いついた。それが後の一連のプレエッチング剤に繋がっている。また、フィラーの入った樹脂の場合も、このプレエッチ工程を導入すれば、成型性にも優れ、良好な密着を得るプロセスの開発に繋がっている。

これらの結果は表面技術協会の1969年の7月号に掲載されており、今でもそのときのアイデアを参考に研究所のスタッフが実装向けおよび装飾向けの有機材料のメタライジングの研究に勤しんでいる。