「今時の若者は」
関東学院大学
本間 英夫
大英博物館に展示してあるロゼッタストーンに、「今時の若者は」と落書きがしてあると言うのはあまりにも有名で、古代から年配者は若い世代を愚痴っていた。最近の若者で言えば、「反省してまーす」と話題になった冬季オリンピックの國母選手は、服装や振る舞いに批判が集中していた。しかしながら、彼だけを責めるのは酷である。なぜなら、人は成長過程で色々学習し常識をわきまえていくもので、マスコミの報道を鵜呑みにするのではなく、温かく見守りアドバイスをしていけば良いだけの話である。
自分も高等学校までは自宅から通学し、親や先生の目が煩わしかったが、大学に入学して、ひとり暮らしをするようになると自由で、寮生活時代はバンカラと言われ、いつも服装は乱れ、授業はよくサボったものだ。
しかしながら、専門科目は1科目が「良」で、あとは全て「優」であった。そのため、試験になると自分の席は決まっていて、応援団やその他自信のない連中が、私の周りに陣取ったものである。
卒業式の式典には参加せず、中村先生は「本間はどうしたんだ」「あいつ将来大物になるぞ!」と私の同僚に言ったとの事であった。サンドイッチと紅茶の懇親パーティーにだけは「おーす!」と言って参加した。
また、大学院を修了した後も、30歳の半ば位までは、ほとんどネクタイなどすることはなく、いつもラフな服装であった。中村先生からも「バンカラプレイボーイ」と評されていたものだ。だが、やることだけはきちっと行っていたので、誰からもクレームは出なかった。
このようなわけで、これまでは若者をネガティブに評価する話は避けていた。また、教育の語源は educeであり、能力を引き出すと言う事である。そのため、「専門は化学だから、俺は学生を大化けさせるのが教育者としてのやりがいである」と豪語してきた。
しかしながら、ゆとり教育のせいか、私の行ってきた教育手法は、特にこの2年間、通用しなくなってきている。そこであえて最近の学生の気質に関して、大学を卒業後、企業に10年間勤め、その後社会人マスターとして2年間研究に励んできた、32歳の学生の目から現在の学生気質について書いてもらった。
社会人として大学院へ入学し、学生生活を送っていますが、現在の大学生の心理や行動の変化に気づきます。私も大学を卒業して10年しか経っていないので、それ以前の世代の方々から見れば、まだまだ若輩者である私達世代についても言いたいこともあると思います。
ですが、あえて今回は社会人学生としての2年間の学生生活の中で、肌で感じた現在の大学生の現状について、私なりの感想を述べます。尚、現在の全ての学生がそうだとは思いませんし、全体的な傾向の中の一部の内容なので、非常に偏りのある見解や間違った認識がところどころあると思います。
しかしながら、このような傾向が目立つ学生が多くなってきたことに実感を持っております。
コミュニケーションを取ることが苦手
テレビゲームやインターネットが一般的な文化として当たり前のように定着した現在、大学生においても実験終了後、一人でゲーム等に没頭する学生が多いように感じます。当然ながら、自分の部屋にこもり、一人の世界を満喫する。それはそれでいいのですが、その生活に浸るあまり、仲間や家族と飲んだり遊んだりする機会が極端に減少し、会話や表現能力が低下している原因のひとつではないかと感じます。
かくいう私もゲーム世代の一人ですが、それはあくまでも暇つぶしであり、大勢の仲間と会って騒ぐほうが、仲間の考え方や理解が深まると考えています。しかしながら、仲間や相手に対して気を使わずに済むため、一人でいるほうが楽と考えてしまうのも事実です。
努力せずにすぐあきらめる
1987年以降に生まれた、いわゆる「ゆとり世代」が、もう大学4年生となりました。それ以前に生まれた人々もその影響を受けているように思えます。
こういった世代で分けるのは、差別として捉えられるかもしれませんが、私はその方々が悪いとも思っていませんし、逆に被害者ではないのか、と考えたりもします。しかしながら、その影響を受けているようにしか思えない状況がしばしば見受けられます。
まず、ゆとり教育とは、我々団塊ジュニア世代の詰め込み教育や受験戦争、さらに、いじめや落ちこぼれが社会問題となったことが背景となり提案された教育方針だと言われており、現在はその見直しがなされて話題となりました。しかしながら、ゆとりは、過度な競争社会に反発するように「落ちこぼれ=競争させない」といった風潮が強まり、私には到底理解できない現状があります。
具体例として、話を聞いて驚いたのですが、運動会の順位をつけない学校が増加しているようです。また、厳しい教育を受けてきた親の経験から、子供に叱ることができない問題や、親や子供の非を他人に転換する問題、さらには裕福な生活の中で何も不自由しない環境で育てられたいわゆる「温室育ち」の学生が増加しているように感じます。
このような表現を行うと語弊があるかもしれませんが、私が肌で感じた中では、そういった「温室育ち」の学生が努力も苦労も何も経験しないまま、大学へ入学しているように思えてしかたありません。その結果、誰かに依存してしまい自分では決断できない学生も多くなってきたように思えます。また我々が常識だと思う事柄が年々通用しなくなり、それが顕在化してきていると嘆く方もいます。
私の個人的な考え方ですが、本学だけでなく、まさに「ゆとり=ゆるみ」と思える状況が、しばしば見受けられます。
企業のニーズと大学の教育
企業は競争の激化をたどり、現在生き残るかどうかの岐路に立たされており、どうしても、生産性の向上や原価低減が求められます。さらに、労務費比率の低減目的や激動する状況の変化に耐えうるべく、海外進出、海外移管を進めています。そのような状況下において企業が新人を一から育てる余裕はないと感じております。
現在、企業が必要としているのは、コミュニケーション能力やモラルは当然のように求められ、さらに想像力豊かで、リーダーシップを発揮できる人材(いわゆる即戦力)であると考えます。
一方、日本の大学進学率は、上昇の一途をたどっており、2009年度は高等学校卒業(もしくは同等の課程を修了)後、半数以上が大学に進学しています。しかしながら、その教育現場では、前述したように、進学動機やニーズの多様化、学力の低下、目的意識や勉学意欲に乏しい、また、挨拶ができない、時間を守らない、授業中の私語、携帯・メール、飲食等の社会常識の欠落・モラルの低下が著しいこと、さらに自主的・主体的な能力が未熟化している学生が増加しています。
このように大学の教育現場と企業の求める人物像のギャップは、想像以上に開いており、深刻な状況に陥っていると感じます。そんな環境下で、競争を知らない学生が、はたして社会に順応出来るのでしょうか。
最後に日本の少子高齢化は今に始まったわけではありませんが、確実に労働人口は減ります。現状のGDPを維持するためには、労働者一人当たりの生産性を向上する必要があります。無責任とは思いますが、私はそれに対する明確な答えを持ち合わせておりません。また、今回はあくまでも全体中の一部の話で、良い面も持ち合わせた学生も非常に多くいることも把握しています。
以上、企業に10年勤めたのち、会社の経営者の判断でさらに高度な専門性を身につけるようにと、マスターコースに入って実績を上げてきた学生からの現在の学生気質について彼の思うところを書いてもらった。私自身も最近の学生に対してほとんど彼と同じ感想を持つのであえてコメントを入れなかった。
若者に夢を
近年、年功序列を守るために、若者が非正規雇用や半分以下の賃金で働かざるをえなくなっている。さらには、年功賃金やポストを維持するために、新規採用を絞り、派遣やフリーターで対応する状況になってきている。
この様に多くの企業では、新規採用を絞らざるを得ない状況の中で、結局は若者が犠牲になり、将来の設計が出来ず、この事が晩婚化・少子化に繋がっている。
子供手当や高校までの教育費無料化に向けて、現政府がマニフェストの実施と五兆円も必要とする実効性の低い大衆への迎合策をとっている.大局的には、まさにこれからを担う大学生の就職率を上げ、豊かな未来を作り上げていく若者が将来に対して夢を持てる政策に転換してもらいたいものだ。
これまで、日本の企業で採用されてきた年功序列制度は、定年まで勤務し、不安なく人生設計出来たが、前述のように雇用体系が大きく崩れてきており、製造業で力をつけてきた、これからの日本の将来に対する不安が増幅されてきた。
現実を直視すると、これまでのような高度成長は期待出来ないし、中国をはじめとした東南アジアの追い上げの中で、通産省もようやく韓国の サムソンやLGの躍進を見て対策に動き出した。
年功序列の崩壊は、堺屋太一氏がすでに80年代後半に指摘していた。年功序列の崩壊から若者の未来に対する夢と希望を喪失させ、入社後3ヶ月、特に3年で辞めていく傾向が顕著になってきている。
さらに、若者がこの様に短期間で会社を辞める理由は、マスコミの価値観や消費者としての存在に埋没しているからだと言われている。
消費の楽しみやマスコミ、特にテレビ文化の中で若者は育ってきており、自由で怠惰な生活を送ってきたため、企業に入って、定時に会社に行き、一定の規律の中で仕事をすることへの耐性が低くなってきている。
中高年の年功序列を維持するために、多くの若者が犠牲となっている。また、就職も決まらず非正規雇用を余儀なくされ、賃金も正規社員の約半分に甘んじなければならない。それゆえ、結婚も出来ず、出生率は大幅に低下し、若者の人口が減少するため、年金制度も維持出来なくなってきている。
デフレスパイラルと同じで、このままでは若者の将来に夢がない。企業の経営者はいち早くこれまでの経営を見直し、単なる既存のものづくりの効率追求だけに集中するのではなく、蓄積してきた技術力を大いに発揮するような体制にしていかねばならない。
日本はこれまでより、さらに技術志向にシフトしないと、韓国をはじめとして諸外国の後塵を拝することになる。下請け型から提案型、すなわち技術力を高めるべく学生の採用に当たっては、大学の偏差値や入社時の成績だけで判断するのではなく、きっちり育てた研究室からの採用に重心を置いてもらいたいものである。